下関市の概況 City Infomation

下関市の概況

関門海峡
 下関市は、本州の最西端に位置し、関門海峡をへだてて九州と相対しています。
地形の特徴として市街地に丘陵が多く、海岸の大小ひしめきあった丘陵地形にかけて市街地を形成しています。
 古くから西日本の政治・経済・文化の中心地として、また内外との交通の要衝として繁栄し、歴史の上では古くから神功皇后の対外活動の基地として、また源平合戦の舞台としても有名で、毛利藩の統治下に培われた海運による諸国物産の集散地としての性格は今日の下関を形成する基礎となっています。
 また、幕末の尊王攘夷論を背景にして勤皇志士の活躍の場、そして明治22年には日清戦争の講和の地ともなりました。
 明治22年に赤間関市として市制をしき、同35年に下関市と改称し、大正10年に生野、昭和8年に彦島、昭和12年に長府、安岡、川中、昭和14年に小月、王司、清末、吉見、勝山の各隣接町村を編入して進展を遂げ、大陸との中継地、そして西日本の水産基地として確固たる地位を占めるに至りました。
 昭和20年に戦災によって市の中心部はほとんど壊滅しましたが、戦後いち早く復興し、西日本有数の水産都市となり、昭和30年に吉田、王喜、内日各村を合併編入、平成17年2月13日には、下関市、豊浦町、豊北町、豊田町、菊川町が合併、新市として下関市が発足し、同年10月1日には総務大臣より中核市としての指定を受けました。
 また、昭和17年の関門鉄道トンネル開通に続き、昭和33年には、関門国道トンネル、昭和48年には関門橋、さらに昭和50年に山陽新幹線が開通し、北九州経済圏とも、いっそう密接な結びつきをもつに至り、また、海峡交通においてもわが国有数の要衝地として発展目覚しく、昭和45年には韓国釜山広域市とを結ぶわが国最初の国際定期航路が開設され、関釜フェリーが就航しました。
さらに平成10年から中国山東省青島市との間に、平成17年には中国の国際大都市上海市との間にも国際定期航路が開設されるなど、アジア諸国の玄関口として都市機能も進展し、国際化へと歩んでいます。
 また、まちづくりの基本理念として「自然と歴史と人が織りなす交流都市」を提唱し、急速に新しい時代を迎えようとしております。

ふくさし
【ふくさし】
下関では「ふぐ」といわずに「ふく(福)」という


巌流島
【巌流島】
宮本武蔵と佐々木小次郎が決闘したといわれる島


花火大会
【海峡花火大会】
門司と下関が関門海峡を挟んで花火を打ち上げる


上臈道中
【上臈道中】
赤間神宮にて

 
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